司馬蒼明です。 今回は歴史書を書かせてもらう事になりました、といってもちゃんと出版の依頼があるわけでもなく個人的なメモに近いです。歳も歳なので書いているうちに自伝みたいなものになってしまうかもしれません。一応、国の図書館には私の自伝がありますがあれは美談しか載ってないのでこっちの方が信頼があると思ってくれていいと思います。書き終わったら信頼した筋の人間に渡します。 さて、といってもいったい何から書き始めればよいのでしょうか。書き物に関しては過去に魔法専門書を何冊か執筆した事があります。国の初等教育用の魔法教科書にも携わった事があります。ただ、アレに関しては政府関係者が私の書いた文章に修正を繰り返し続け、最終版では文法だけならまだしも中身に関しても原型を留めておらず、いったい誰か書いた物か分からなくなるような悲しい物でありました。 残念ながら私は物書きではありません。ただのしがない魔法使いでございます、いやしがないという言葉は語弊がありましょうか。ひょっとしたらいらぬ嫉妬を招くかもしれません。そもそも「しがない」なんていう言葉は、他人を表現するためにあるもので、自分に対して使う際はへりくだっているだけであります。とりあえず最初の件(くだり)はこの辺にさせて頂きます。 * では、そのしがない魔法使いが何を持って、こんな書物を書き始めたのでしょうか。人によっては国を追われたあわれな老人の嫉妬と憎悪の書き溜めにしか見えないかもしれません。いや、これを書いてる時点ではそのようにしか評価されないのでしょう。ただ、私はこの書をあくまでも歴史の一つの視点のつもりで書いています。私が自分の半生を振り返り、見て感じたものを今冷静に振り返ってまとめているつもりです。今後この書物が歴史的な事情に都合のいい引用をされる事もあるかもしれませんし(それにより私がある時代のアンチテーゼになりうるかもしれません)、ひょっとしたらある時代にこの文書は焼き捨てられてしまうかもしれません。ただ、100年後、200年後、ひょっとしたらもっともっと先の時代かもしれません、人が正しい歴史を再考しようと考える時代がやってきた際に、私のいたこの時代に対する「一つの観点」であるこの書物は参考になるかもしれない、そう思い筆を取らさせて頂きました。 * さて、私という人間を歴史的観点から語る上ではほとんどの人が私の事を「魔王を倒した伝説の勇者一向の魔法使い」という引用をするのでしょう。私自身も人生で得た名声や地位のほとんどがそこから来ているものだと自負していますので否定はしません。ですが、私がその場所で生で見て感じた物はおそらく皆さんがこれから初等教育で見て学ぶ英雄像とはかけ離れていると思ったのでまずはそこの部分から述べさせていただこうと思います。 我々は最大では四人パーティでした、最終的には三人パーティになります。この四から三というのは単純な引き算ではありません、多くの人が入り、多くの人がいなくなっていきました。我々の集団に属していた事のある人物は正確には十三人になります。これは将来の歴史書にはどう載るのは分かりませんが現時点では正しく記載されています、それは私が政府関係者をそう書くように圧力をかけたからです(政府関係者は何人かを勘定したくないと随分反対していました)。ただ、途中で抜けた盗賊くんや、現在(反政府の)宗教系の長をやっている教祖くんの記載はそのうちなかった事になるかもしれません、もう私の力も効かなくなってしまいましたし。この時代が歴史でありたいと望むなら彼らの記録も残り続けるでしょうし、それとも神話になりたいのなら始めから三人パーティだったと記載されるかもしれません。この三人とはもちろん勇者くんと賢者さんと私の三人です。 * 勇者くんは私よりも二つ年下でした。彼は私にはあまり敬意を払ってないようでした。言葉遣いは基本的にタメ口でしたし、言い方も気に食わないものがありました(非常に高圧的でした)。私が発言してもすぐに否定から入ってきました。「魔法使いさんの言うことは分かるんだけどもね」と持ち上げるフリだけして、以下うんぬんかんぬんみたいな否定ばかりでした。その時だけは言葉遣いが敬語になるのも妙に腹立たしいものがありました。さらに激情的になると殴り合かかってきそうな雰囲気を出します(というか殴りかかってくる時もあります)。関係がいったん泥沼化した以降はお互い諦めいつも距離を置いて話し合っていましたが最初の歯車がおかしくなったのは何だろうというのは今考えても分かりません。彼から見て魔法しか使えない私を見下していたのか、それとも物事を論理的に詰めて考えようとする私を生理的に嫌っていたのか、それとも後記の人物が関係しているのか、おそらくその全部だと思います。 賢者さんは私より二つ上の女性でした。私のようなモグリの魔法使いとは違い、大魔法使いと大魔法使いの名門家系の生まれでした。物心ついた時に親に頼み込み大神殿で魔法の修練という事で働きこみを始めました。そんな親にそんな生き方を選ぶような女性なので当たり前と言えば当たり前ですが魔法のセンスは抜群でした。そして非常に優しい女性でした、いつも笑顔で話しかけてくれました。長い付き合いがありますが彼女が人の悪口を言っているのを見たことがありません。女性としても非常に魅力的で、細身の体なのですが出ているところは出ていましたし、綺麗な金髪をひらひらなびかせていたので彼女が女神に見えた時期がありました。髪が宙に浮いていた(ように見えた)ので魔法で浮かしているのか尋ねたことがあるのですが、彼女は顔を真っ赤にして「癖毛なだけです」といって指で髪をクルクルと巻いてました。 私は一目見たときからこの女性の事を好いていました、別に不思議な事ではありません。何度も何度も告白しようと考えましたが、自分には高嶺の花すぎると思い自分から距離を置くようには心がけました。 そしてこの賢者さんは勇者くんと付き合い始めました。 * ここまで書いて自分の文章を見直してしまいましたが、勇者くんに余りにも憎しみがこもっており、このまま書き続けてしまいますとただの勇者くん批判の暴露本になりかねず、冒頭で述べた冷静な歴史分析とはかけ離れてしまいますので今後は彼のフォローもしていこうかなと思います。ただ前途の部分の修正はしません。 * さて、勇者くんと始めて出会ったのはギルドでした。現在ではギルドといえば戦争の傭兵や殺人依頼といった人の殺し合いを助長する組織ですが、当時は魔王を倒したいという思いの戦士達が同士を集める場所でありました。(もちろんその裏ではその流れを利用しようとする汚い駆け引きや暗躍はありましたが今ほど露骨ではありませんでした)。 私は当時魔法大学を卒業したばかりだったのですが、専門大学だったので大学に残るような学力はなく、また私は火系しか魔法が使えなかったので鉄工所や鍛冶屋ぐらいしか働き手がありませんでした。そんな中、何気に寄ったギルドで勇者君に声をかけられました。同じように声を掛けられたらしい戦士くんもいました(賢者さんと出会うのはもうちょっと先です)。当時は私が22で勇者くんは20歳ですね。勇者くんはこの世界に蔓延る悪の連鎖は魔王を倒さない限り訪れないと言いました。俺達三人だけなら何も出来ないかもしれない。けども周りを見てみろ、ほら、これだけの人らが魔王を倒そうとしている、そういって周りを指します、確かに100人近くの腕利きに(見える)人物らがそこにはいました。これだけの人が集まればそのうち魔物は倒されるさ、俺達はこの時代に助長すべきだ、感じないか、この時代の流れを、次にやってくる平和の風を感じないか、新しい時代に俺達は乗るべきなんだと。そう言って私と戦士くんを説得しにかかりました。この時点で私は何箇所かの鉄工所には声をかけられていたのですが、その仕事に魅力も感じておらず、またお酒を飲みながら勇者くんの話しを聞いているうちに調子に乗ってしまっていました。まさか魔王を倒す事はないだろうと思っていましたが、次に時代が変わる際に先頭集団のランナーの一人としていれたらいいなぐらいは考えてました。まあそういうわけで調子にのってしまい、何の気なしに首を縦に振ってしまいました。それだけです、運命的な出会いなのでしょうか、よく分かりません。その週には三人で町を出ていました。あ、ちなみにその場にギルドにいた者達のほとんどは旅中で死んでます。 親には勘等されました、その当時の情勢を考えたら当たり前です。これから死んできますと息子に言われたのです。父親は怒り狂いました、母親は泣きまくっていました。私としては無理そうだったらすぐに帰ってくるからぐらいのノリだったのですが、そのニュアンスを伝える前に父親には今すぐ視界から消えろと罵られました。その日のうちに家から追い出されました。 残念ながら父親は私達の旅の途中で亡くなりました。私が旅に出て四年後の事です。毎日私達の無事を祈っていたそうです。親族も含む誰もがどこかで死んでしまっているだろうと思っている中でも父親だけは私が生きていると信じたようです。神など絶対に信じるような人物ではなかったのですが毎日、朝昼晩欠かさずにお祈りをしていたそうです、その光景は鬼気迫る物があったと聞きます。途中で病で倒れてもずっと私の心配ばかりをしていたそうです。私は国に六年後に戻ってきました、父親が死んだと聞いても少し胸が打たれたぐらいでふうんという程度の気持ちでしたが、母からその間の父親の行動を聞かされ泣きました、三日三晩泣き続けました。 私はその後、国の王宮に国立研究員として呼ばれました。ここから(魔王討伐後)の私の記載はまるで私が魔王を倒した後にすぐに病か何かで死んでしまったんじゃないかと思うほどに急激に薄れていくので詳細は後ほどに書かせていただきます。とにかく私は当時の四大大国のすべてから重要ポストのオファーがありましたのですが地の利と待遇の面からレキシントンを選びました。勇者くんはなんと小国の王になりました。 レキシントンに移る際に、母親も一緒に来るようにと誘ったのですが母親は頑なに断りました、故郷で死のうと決めたらしいです。それならばとありたっけの贅沢をしてもらうように思いました。あの地域ではありえないような額のお金や家を贈りました。召使いも付けさせました。ただ、母親は多少は贅沢はしたようですが、ほとんどのお金は使っていませんでした。すぐに家も違う人に譲ったそうです。苦労好きの(といったら怒られるかもしれませんが)母親の性分ぽいなと思わされました。それでも晩年は常に私への感謝を口にしていたといいます、その言葉を聞いたときは胸が打たれました。(働いていた召使いから聞かされました) 心残りは父親への想いです。私を生んでくれてありがとう魔法学校まで行かせてくれてありがとうと素直に言えたらいいのですがそこが私の捻くれたところなのかもしれません。私は悔しくも父とは全く違う考え方をしていますし(母親は似ていると言うのですが私は違うと思っています)、魔法に関してもほとんどは旅の途中で磨き上げた後天的のものだと自負しています。そうなると私の半生を考えた際に、勇者一向になる以前の私の歴史は落ちこぼれであり負の歴史なのです。お世辞でもよい家庭とは言えず、お世辞でも贅沢な生活をしていたとは言えませんでした。昔はそれで父親を憎んだ時もありました。今、この時点で父をどう評価し感謝すればよいのだろうと、司馬炎明という人物をどう評価してやる事が彼への恩返しなのだろうかとずっと今でも考えています。